2007年6月19日火曜日

いやあ、だるいねえ

いやあ、だるいだるい。

どれくらいだるいかというと、もう朝の10:24っていうね。


今みたいに、おきてしばらくするとまぁだいぶ精神的に落ち着いてはくるんだけど、起きた直後って何であんなにきついのかなあ。
まぁあ一年前はもっと凄かったからね、



別にいまさらこんなことをしてもしてもしかたないのだけれども、去年の6月21日のことを書きます


去年日記
6月21日

前回紹介したように、僕はものすごいきつい研究室に入っていた、
2週間に一度、ワードで10枚以上の研究データをつくりみなの前で発表しなければならず、平日は9:30から翌日の1時ころまで残される。
さらに研究データが悪いと、教官から切れられる。

この日僕は半導体の表面を見るために、電子顕微鏡を使って、調べるといった、新しいことをやろうとしていた。
大学ではまだ誰もやったことのないことで、技官の人もそれほど電子顕微鏡に慣れてはいないようだった。言われたとおりのことをやったのだが、やはりうまく取れてはいなかった。

研究室に戻って先輩と話してみていると、「これが、ガラスで、之が半導体なんじゃないかなあ?」
といわれたので、そうなんだとおもった。

教官の部屋に向かった。
「失礼します、こないだ言われていた、表面を取ってきました。」
「ちゃんと取れたのか」
「はい、」
「なんだこれ、ぜんぜん取れてねえじゃねえか」
「ええと、これがガラスなのではないかと思われますが」
「お前今日一日何していたんだ!!」

「・・・」
「いや、何していたんだって言っているんだ!」
「ええと、技官の方もまだなれていないようでして」
「そういった、俺関係ねえよ的なことをいうのって、僕は違うと思うんですけど!」
「はぁ・・・、まあうまく取れてはいませんよね」
「さっきは取れたって言っただろ、いまさら後出しじゃんけん的なこと言うなよ」


永遠と罵声を浴びせられること40分

だいぶ教官の機嫌も直ってきて、今後のことを話す、さらに50分

研究室に戻り、事情を察した大学院の先輩方に状況を話す、
「それは〇〇君が怒られぞんだ、写らないものはしかたないだろ」
とか言ってくれるが、それがますますきつい。

なんでこの研究室を選んだんだろう、他の研究室なら4年になっても講義を取れたし、愁傷区活動だってしっかり出来た。なんでこの研究室を選んでしまったのだろう

それから一ヶ月ほどして、僕はうつになりました。
一般の会社でここまで切れられたら、他の人はどうか知りませんが、僕は確実にやめます。

しかし、大学をそんなに簡単にやめることが出来るかというと、そんなわけはありません。

大学に入りたいがために浪人し、大学も4年間通ってきて、やめるわけにもいかず親にも心配をかけ。

7月の上旬くらいまで、学校を続けていましたが、毎日吐き気がして、体が震えいても田ってもいられない毎日でした。それは切れられたことに対するショック的なものだけではなく、今後の進路がまったく暗中模索である事が要因となっていることは明らかでした。

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