2007年6月12日火曜日

吐露

さて昨日は、会社に行ったわけですが、月曜日は非常に気が進まない。なぜならあまり人間的にあわない社員と、人間的にあわない人(高校の先輩)と、俺3人で働かなければならないから。

僕は人間関係の構築が非常に下手で、それで今までの人生を棒に振るってきた感があり

しかしコミュニケーション能力の欠如は、確かに自分もそうだが、僕が嫌っている社員も結構欠如しているようなきさえする。


まぁ我慢するしかないかなあ。けどねえ、影口はやめましょうよ、いい大人が情けない。仕事つまらなくてストレスたまっているの丸分かり
相手にしないけどね。



さて、つまらない日常の仕事のストレスの愚痴ブログはここまでとして、女の子に関して書こう。

先日会社の面接を受けていた女の人がいたが、その人はあまり可愛くなく、いや別に不細工とまではいってなくもないようでもないわけでもない、
昨日面接に来た人は、明らかに可愛かった

と、このように自分が感じてしまっている、この自分の、他人への差別化が非常に嫌で、頭にきて昨日は休憩時間に壁に頭を打ち付けて失神しそうになった。


なぜ之ほどまでに自分自身が、他人に対する評価をしてしまっていることに対して拒絶するのかというと、結局なんだかんだいっても、

俺って可愛い女の子好きなのね ウフフ
っていうことに対して、何故だかはしらないが、体が拒否。
自分がかなり小さい存在であると、そのとき確信してしまい、それが嫌。別に不細工な女の子がかわいそうだとか考えてはいない。


しかし、例えばキャバクラとか、おっパブに行ったときは、別にこのようないらだちを感じることは一切ない。
水商売の女の子は何も抵抗がないのですが、現実世界で出会う女の可愛い女の子には激しくいらだちや、羨ましさ、そして羞恥心を感じる。
それらが見られる、もしくは感じ取られるのは非常に恥ずかしいわけ。


さて、まったく話の流れが見えないんだけど、昨日は仕事の休憩時間が長かったから、車の中で休憩していたら、隣にジープみたいなでかい車が泊まって、中から可愛い女の子が降りてきた。
その子は何故か5分くらいこちらを見つめて、おいおい之はいい展開なんじゃないの?
とか思っていたら見つめていたわけではなく、自分の赤ちゃんを車から出して、スーパーへ行ってしまった。
ああ、こんな可愛い女の子がエッチしちゃっているのねと思って何だか切なくなる一方、こんな可愛い女の子とエッチしちゃっている男がいるということに対していらだちというよりかは、なんというか、尊敬心というかそういった感覚の不思議なものを感じていた。


ミスチルの曲でもあるように、最近また知り合いが結婚した。

Mr.children 花
同年代の友人たちが家族を築いてく、恋愛感は様々そう誰もが知ってる



もう同い年といっても24歳とかだし、そういった意味では結婚してもいい年代というか、あと2年くらいで結婚のピークに達するんだろうけど、俺には関係ないと思う。


確かに何かを手に入れることが出来るような気もする。女がいれば毎晩のようにサルのようにセックスできるし、飯も作ってくれるかもしれないし、何より心のゆとりが出来るのかもしれない。そして結婚は社会的なステータスでもある。ある程度の尊敬を得ることができる。

しかし、確実に失うものがある。結婚すると感性は確実に鈍る。チャンスが、なくなるとはいわないが、1000分の1くらいになる。当たり前だ、子供や守る人が出来たら、危ない橋ばっかり渡って生きてはいけない。

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