2007年5月28日月曜日

回顧 

さて、今日は休みだった。昨日車にこびりついた黄砂を何とか落とした。

とくにフロントガラスがひどかった。すごい汚れ方をしていた。


まぁやすみのこともあって、それだけでなく平日節約ばっかしていて、ストレスがたまるということもあって、また地下にいってしまった。
なんだか知らないんだが今日はちょっとだけ混んでいた。もうシードの対戦はやるまいと思ってはいるのだが、休みの日は必然的に対戦の日になっているわけで、仕方がなく対戦をやることになる。

今日はZのほうも久々にやった。
なんだか知らないのだが、結構今日は地下に人が来ていた。

しばらく待っても知り合いは誰も来ないし、仕方がないから喫茶店に行った。


さて、バイト先の支店長は俺のことを気にしてくれているようで、俺の進路にかんして色々といってくれる。
自分のためになっているのではないかと感じる一方、非常にありがた迷惑だ。

支店長は、大学院に行ったほうがいいよと何度もアピールしてくる。
理工系は大学院で手当たり前だよ。とか言ってくる。

このまま就職活動しても、なんで(就職)浪人したんですか?とかきかれるよ?
とか言ってくる。















わかってるよ
 知ってるよ













けどね、














しかたないじゃん。





さて、なぜ就職できなかったのかを今から書こうと思います。


僕の大学では、多くの大学と同じように卒業するために卒業研究という単位をとらなくてはなりませんでした。
大学時代なんと言うこともなく、サークルとかもやりませんでしたし、そういった意味から少し自分で挑戦できるようなところにしたいと思いました。

そういった中で自分の中の選択肢は2つしかありませんでした。

一つは就職がしっかり出来るが、研究があまりやれなそうなところ、一つは研究は出来るがどんなところかまったくわからないところ。

散々悩んだ挙句私は、やりがいを求めて忙しいほうに決めました。
一年前の2月私は就職活動をしていました。色々と忙しい面もあり散々動き回っていました。
2月の下旬に研究室の飲み会に誘われ行ってみて、仰天の事実を聞かされました。

この研究室は毎日夜中1時ころまでやるのだと、しかも毎日あるのだと。
2週間に一度は研究発表をしなければならず、そのために、ワード10枚分くらいのものを準備するのだと。
僕はそれをきいた翌日から、強いうつ状態に襲われました。


毎日研究室生活があるのに、どうやって東京に行って就職活動をするのですか?
真夜中まで拘束されていつ企業研究をするんですか?


僕は就職活動をやめました。たしか去年の3月の中旬にはもうあきらめたと思います。

それからのことを詳しく書くと、まずいので具体的なことはかけませんが、指導教官は非常に短気で、すぐに激怒し、怒鳴りつけてきました。また粘着質的な性格でした。

将来のみちが決まっていないのに、激怒される毎日で僕の頭はおかしくなりました。


夏ころもう大学を辞めようと決意しましたが、教官からとめられ、両親からも強く止められ、心療内科に通いながら大学に行くことになりました。


教官からは本当はうつ病ではないとか、俺の前でばかり病人面しているとか言われましたが、なんとか病院に通いながら大学を卒業しました。


こんな私ですから、もう研究室になんて入りたくないんです。絶対嫌です。

たしかに就職浪人を受け入れない会社が大多数だろうけれど、それが100%ではない。
どんな風にだって生きていくことは可能だし、こうすれば正解という選択肢はない
今は心療内科には通ってはいませんが、いつ再発するかもわからないです。

しかしこのことを支店長に話すのはやめようと思います。あまり利点がないように思えるので。



結局自分のことは自分しかわからない。

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