とある葬式で梅干にされている僕、まぁ人間として生きているんだし良しとしよう。
明らかに俺と言う人間性は葬式の中で、嫌われていそうだけれどってか簡単に言えば
”早く気づいてよ、やめろっていってんの”
ってことなんだろうけれど、生まれてきてしまった以上簡単には死ねない現状としてはまぁそういった人たちの抱え込んでいる病気に付き合っている暇はない
ただ、この漠然とした不安感はなんだろう。
銀と金で夢を見ることこそが生きていることって書いてあった。
長生きなんていうものに意味があるのではなく、夢を見ることができるかが問題なのだと
俺は福本の世界観には共感できるけれど、そこまで強くはなれない。
現状の職場内で夢を見ることはできない。
人生観も元来の消極的だからそこまでは感銘できなかった。
動き出さなければ何も始まらないんだろうけれど、動いたところでそこでの苦しみが待っている。
うちの会社にいる、申し訳がないけれど全く共感も尊敬も出来ない上の人たちのような連中なんて何処にでもいる。
横柄な態度を繰り返す人間だって何処にだっている。こういったダニのような連中は本当どこでもいる
死ねば全てが解決する
死はそれ以上の苦しみを生まない
死ねば終わり、僕が長年苦しんできた幻想や嫌な人間にはもうあわなくていい
こないだも最悪だった
金縛りにあい
目の前には帽子とサングラスの妖怪がいた
僕は恐怖のあまり声にならない
不思議なことにその妖怪は3回ほど僕の手を握り
最後に僕の開いた口(出っ歯だから少し口が開いている)に細長い舌を絡ませてきた
こういった幻想は本当に怖いが、誰も周りにはそういう人はいない
ただ僕が現段階まで死にたくても死にたくても、まだ生きているのは
死への恐怖感と
生へのもったいなさ
自分が消えてしまうことのさみしさ、そして生きてさえいれば苦しみのほかに綺麗なものを見れたり美味しいものを食べたりできるかも知れないと思うから。
一つの自由にはそれなりの強制力があるし、一つの拘束にはそれなりの喜びがあるだろう
プラスマイナス0すなわち全部バランスだ
僕が抱え込んでいる悩みや苦しみと、自分に気づかない幸せが今の自分にはあるということ。
0 件のコメント:
コメントを投稿