2011年7月31日日曜日

暴露

それにしても、18日に年一で鬼武者の低設定握らされて以来、もうパチヤには出向いていない。

知り合いからは、天井狙いでいけるとか言われるけれど、俺自体あまり天井狙いは好きではない。
確かに天井って言うのは、絶対に当たるゾーンなのであり(機種によってね)、機種によっては天井狙いだけでちょいと浮き、それだけしてればやがて勝てるということは、確かかもしれない

しかしそれは試行回数を要するのである、シュミレート上の話だけではなく、パチンコ屋に出向くということだ。車で移動するにはリスクがありすぎる。バイクが必須だ。大体俺の車じゃ横幅が広すぎて話にならない、ちょっとでもぶつけたら天井で勝った分じゃ補償できっこない、さらにぶつけられても補償できっこない
バイクがないと天井狙いは無理

しかも天井狙いは完全に勝ちを意識しているうち方であり、本来の博打としての意味合いはないように思える。
まぁ高設定探すよりはまともだよね、あくまでも天井打ちにとっては、全台設定1が仮定条件だろうから


さて、話が変わるけれど、前にも言ったように僕には彼女がいない
彼女がいないとどうなのか

寂しいが何てこともないって言うのが本音
強がっているわけではなく、だって実際どうしようもない

どうしたって仕方がない
解決するだけの方法がまったく検討もつかない

町に出かけて自分の股間を女性に見せて
「ねぇどう?これでもう君は僕のとりこだよね、もう毎晩僕と付き合いたいよね」
とか言ってみればいいんだろうか?
学校で教わったことなんて本当まったく役に立たないよなぁとか思う

だいたい化学で言えばラジカルとかアニオンが活性化物質なのなら、イオンであれ(シングル物質)って言っているようにしか思えないよね。安定化してしまうとたいした、反応性はないよみたいな

親戚が孫の話をしたり、同僚が彼女がいないなんていうことをストレートで煽ってくるとやはり精神的にはきつい、僕の歴史生きてきた過程。そういったことは多くの人にとっては何の関係もない。彼らのレベルが低すぎるんだ。
人をはかる定規が交際相手がいるかどうかだけなんていうのは、どう考えてもおかしいんだけれど僕もそうであり、多くの人もそうだ。ステレオタイプ


ただ人間は孤独な生き物であり、結局は一人で生きないといけない、しかも必ず死ぬ
一般的に言っても交尾をして子孫を残すことは明らかに普通な行為過ぎている。さびしいと思ったり異性の誰かと一緒にいたいなと思うのは普通、というか当たり前
それができないのであれば、普通は発狂してもおかしくないだろう。当たり前のことがまったくできないのだから、寂しさ紛れに馬鹿みたいにキャバクラにいって馬鹿みたいに金を使い
馬鹿みたいに金を捨ててきた。なんてこともないなんて嘘なんじゃないのか
本当は彼女が欲しいのではないのか?

ただ僕に仮に恋人ができたとして、その最終的な目標は結婚であらなければならない
結婚すること意外にだらだら恋愛する必要がない

多くの人が結婚をし、子どもを産み、育てる。それは上記の通り当たり前の行為だからだ
当然の行為だからだ
同僚も多くが結婚し、みな子どもがうまれた

給料からはまったく予想だにしないローンを組み、月々の小遣い3万円以下で働く
なにか目標があればいい、ほとんどの人は何もなしにそんなことを繰り返しているのではないか

俺は2年のブランクを超え、やっと自分の中に次の目標ができた。遠すぎて今の自分ではもうどうしようもなくただの目標なだけであり、まったくそれに対して行動はしていない
けど目標ができて僕は幸せだ。そこに向かわなくても明るい光が人生の一時点で照らしてくれるなら、いまは一番幸せだ。

人生という分岐の中でその明かりが近ければ近いほど充実し、とても生き生きした顔になっている
ましてや、さまざまな分かれ道の中で目標から遠ざかればどんどん暗くなる
光は快楽物質だ。光を求めている、間違いなくコレは動物の本能だ

光を目指すことは、やはり苦しい
目標に向かっていくことは苦しい、ただ間違いなく、その時点で光輝いている

いずれ目標に到達すると光は消えている
また暗闇が始まる
今の場所とはまた違う場所から死に向かって歩いていく

彼女がいないというのは、さみしく辛いことだけれど、目標からとおざかる行為なのであれば明るい方向には向かえないと現時点では結論付ける必要がある、

ヒカリハタベラレマセン ヒカリダケデハ イキテハイケマセンノデ ゴチュウイクダサイ

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